Todo no Tsumari (とどのつまり – After All)
Todo no Tsumari
とどのつまり
When describing “at last” or “after all,” we sometimes say todo no tsumari (とどのつまり) in Japanese.
「行き着くところ」や「結局」を表す際に「とどのつまり」と言うことがあります。
It is thought that todo (とど) came from a fish name, and tsumari (つまり) means “to block up.”
「とど」は魚の名前から来ており、「つまり」は “to block up” を意味する「詰まる」の名詞形であると考えられています。
A fish called bora (ボラ – “mullet” in English) has different names depending on the growth stage, such as okobo (オコボ), subashiri (スバシリ), ina (イナ), bora (ボラ), and todo (トド).
「ボラ」という魚は、大きくなるにつれて「オボコ」「スバシリ」「イナ」「ボラ」「トド」と呼び名が変化し、最後に「トド」となります。
Here, todo is the last stage and implies that it will not get any bigger, and it came to have the meaning of “after all” by adding tsumari.
すなわち「トド」は、「これ以上大きくならない」ということであり、「つまり」と合わさることで、「結局」のような意味になったというわけです。
The expression todo no tsumari is usually used when the result is not so good.
「とどのつまり」は、思わしくない結果になった際に使われることが多いです。